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講演会録~弁護士古市佳代

すずか市民綜合法律事務所弁護士古市佳代が、平成24年夏に行った講演会の内容を加筆したものです。

「人権と法律~日本国憲法下での自殺する権利」、という少々重いテーマで、抽象的な話ではありますが、法律の知識がない方を対象に、できるだけわかりやすくまとめました。

当事務所の所信表明に関係する部分もありますので、少々長いですが、掲載させて頂きます。

 

 

こんにちは。

はじめまして。私は、弁護士の古市佳代と申します。

本日は「人権と法律」というテーマで私古市がお話をさせていただくことになりました。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

まずは、「0.はじめに」というところで、簡単に自己紹介めいたことをさせていただきますと、

 

私は、三重県津市出身で、損保会社に数年勤務した後、弁護士になりました。

毎日、依頼人と接し、依頼者の悩みを何とか法的に解決する方法はないものかと悩み、日々奔走しております。

私生活では、結婚して旦那がおりますが、毎日自分のことだけに追われておりまして、お恥ずかしいですが、家事は人並み以下しかできていません。

弁護士というのは、法的観点から依頼人の問題を解決するのが業務ですが、

事案の全体像を把握するために、依頼者からの情報収集が必要不可欠でして、まずはじっくり話を聞こうということになります。

依頼人が話してくれる話の中には、これまでの生い立ちや家族関係、生活習慣、ポリシーといった様々な情報が出てきます。

そうすると、私たち弁護士は必然的に依頼人の人生を垣間見ることになります。

一つの事件から関係者の数分の人生が見えてくるわけです。

 

依頼人の話を聞いていて、自分と共通点があるなとか、共感できるなとか、思うこともあります。

また、自分とは全く異なる境遇で人生を歩んできた依頼人から学ぶべきことも多くあります。

        

一般には、弁護士は、何でも白黒はっきりつけたがって冷たい人間だというイメージがあるかもしれません。

 

しかし、私は、常に「心の通った人間」でありたいと思います。

常に依頼人の希望にかなうようにという気持ちでおります。

が、時には、依頼人の希望どおりにはならないこともあります。

そこで、「依頼人の希望を少しでもかなえてあげたいという気持ち」と「それをかなえることができない法律の限界」との葛藤の中で、いつも、戦っております。

 

今日、私がお話させていただくことは、この「法律の限界」とは何かということにも多少関係してきてくるのですが、今日は、「人権と法律」について、私が思うこと、考えることをお話させていただきたいと思います。

今日、私が皆さんにお話させていただく内容は、日々のみなさま方の業務に、即座に役に立つかと言われると、そうではありません。

明日から、すぐに使えるノウハウというものではありません。

どちらかといえば、眠くなってしまうような抽象論です。

しかし、この役に立ちそうもない抽象論が、実は根本的なことで極めて重要なことだと思って、お話させていただきます。

眠くなって半分忘れても、半分は頭の中に残しておいていただきたいなと思います。

 

 

さて、今日のテーマは「人権と法律」ですが、サブタイトル1は「日本国憲法と自殺」です。

わかりやすくいいますと、日本国憲法は国民に自殺する自由を与えているのか?、日本国憲法のもとで自殺することは人権として認められているのか?ということです。

世の中には、自分の命をどう終わらせようと自分の勝手じゃないかと思う方もみえるかもしれません。

そういう自由が日本の憲法で認められているのかという問題です。

 

日本国憲法といえば、日本の法規の中で最高のものです。

この憲法に反する法律については、最高裁判所に訴訟を起こすことが出来るのです。

この憲法は最高すぎて、実際のところ、私ども弁護士の日々の業務においても、まずお目にかかることのないものです。

 

しかし、憲法より下のランクに「法律」があるのですが、その法律で対応できない問題が生じた場合、必ず最後に行き着く先は「憲法」です。

 

現在、日本の政治では、野田首相の問責決議が可決され、国会は事実上閉会されている状態ですが、憲法に規定されているから、総理大臣は総理大臣なのであり、国会議員は国会議員なわけです。

 

では、その最高ランクに位置する「憲法」は、「人が自殺すること」に対してどういう立場をとっているのでしょうか?というのが今日のテーマの始まりです。

 

 「日本国憲法において自殺することは認められているのか?」

 この点、憲法の条文上にピンポイントでは規定はありません。

 そこで、憲法13条を見てみてください。

 

=憲法13条=

すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 

 この条文は、個人の尊重、幸福追求権について定めた規定でして、日本国憲法において最も重要な価値を表現している規定です

「個人の尊重」とは、個人の平等かつ独立の人格価値を尊重するというものです。

次に「幸福追求権」とは何かですが、

そもそも、人は、人として生まれた以上、ひとりひとりが最高の価値を持っている存在です

 その最高の価値のある人間にふさわしい、尊厳ある生活を保障したのが憲法13条なのです。

 

 現在の憲法に●●権とか●●の自由として規定されている人権、例えば「生存権」とか、「財産権」とか、「表現の自由」とか、ですが、これらは全てはひとりひとりの個人が尊厳ある生活をおくれるように保障したものにすぎません。

 また、国会や裁判所、内閣などの憲法上認められた国家の機関も、全てはひとりひとりの個人が尊厳ある生活を送ることができるために存在する機関にすぎません。

 つまり、国家のために国民があるのではなく、国民ひとりひとりが尊厳ある生活を送れるように国家があるにすぎないということです。

 ただ、ひとりひとりの個人が尊厳ある生活をおくるためには憲法上で規定された人権だけでは当然不十分です。

 そこで、憲法に●●権とか●●の自由という形で人権として認められている権利以外に「新しい人権」として認められるものは憲法13条でカバーしようという考えから、この「新しい人権」を「幸福追求権」と呼ぼうということにしているんです。

 

例えば、「プライバシー権」、「人格権」がこれにあたります。

 

 

先ほど、「新しい人権」を「幸福追求権」と呼ぼうと言いました。

この「幸福追求権」に「新しい人権」をどこまで含むのかで大きく二つの考え方があるといわれています。

 

 

一つは、「人格的利益であるという考え方(人格的利益説)」で、

もう一つは、「一般的な自由であるという考え方(一般的自由説)」です。

 

 

「人格的利益であるという考え方」は、人格的生存に不可欠な権利が憲法13条の幸福追求権なのであり、新しい人権を限定的に考えます。

一方、「一般的な自由であるという考え方」は、あらゆる生活領域に関する行為の自由が憲法13条により保障されていると考えるもので、新しい人権をほぼ無制限に認めるという考え方です。

例えば、過去に裁判で争われた事件では、「高校生がパーマをかける自由(髪型の自由ですね)」について問題になりました。

これは、平成のはじめに起こった裁判ですが、パーマをかけた高校生が高校を自主退学を迫られ、結局自主退学させられたことから、学校に対して卒業認定を求めた訴訟でした。

裁判の結果は、どうだったかといいますと、

裁判所は、高校生がパーマをかける自由が憲法上の認められるかどうかには判断しませんでした。そして、結果的には、高校生の要求をしりぞけました。

 

 

さて、このように、「人格的利益説」と「一般的自由説」という二つの考え方説があるわけですが、

「自殺すること」というものが、この憲法13条の幸福追求権の中の新しい人権として含まれないか?ということになります。

 

 

→人格的生存に不可欠なもののみとする「人格的利益説」からすると、自殺すること自体が人間の人格的生存を否定する行為でありますから、自殺する権利をよしとすることは認められない方向になります。

 

 

→広く人権を認める一般的自由説からすると認められる方向になるということになります

 

 

ただ、「一般的自由説」からしても、例えば人が人を殺す権利は当然認められません。

また、人が自分を殺す、自殺する権利まで認める考えは少数派なのです。

 

 

「人権」とは人が人であるが故に、当然に認められる権利です。

そうすると、人が人であることを自ら否定する行為である「自殺」は権利として認められないというわけです。

したがって、「自殺すること」が正面から権利として認められますよ、ということにはならないということです。

 

 

「自殺すること」は憲法上、権利として正面から認められていません。

 

 

それでも、今日、世界中で、日本中で、多くの人が自殺しているという悲しい現実があります。

 

 

あるデータによれば、昨年一年間の全国の自殺者は3万0584人、三重県内では366人だそうです。

 

 

三重県内で一日に一人自殺するという計算になります。

 

 

先ほど、憲法13条が個人の尊厳を保障しているとお話しました。

それは、人が人として生まれ、生きていること自体で最高の価値を持っているということを意味しています。

究極をいえば、人がオギャーと生まれ、息をしているだけで、最高の価値があるということです。

それが憲法が認めた個人の尊厳ということです。

 

 

しかし、

 

 

病気で働くことができず今日の生活にも困っている人、

リストラ解雇され、生活に困っている人、

職場でも家庭内でも孤立し孤独感を感じている人、

親の介護で疲れ果て孤独感を感じている人、

毎日職場や学校でいじめを受けている人

 

 

などは、今の自分は人間らしい生活をしていない、生きている価値がない、息をしている価値がないと思い込んでしまい、というか、そういう心理状態に追い込まれてしまい、自ら命を絶つことを選択してしまうのだと思います。

 

 

本来ならば、誰もがオギャーと生まれきただけで、人として最高の価値を持っているのに、

それを価値あるものと思うことができない事情、

たとえば病気であったり、リストラであったり、職場や学校における孤立感であったり、親の介護であったり、いじめであったりがあって、

その事情に立ち向かえない人もいます。

むしろ、立ち向かえない人がほとんどなのだと思います。

 

 

そういうとき、悩んで苦しんでいる人の背中を、よい方向へ、ポンと押してあげることができるのは、

友人や近所であったり、行政であったり、ここにいらっしゃる相談員のみなさんであったり、「法律」であったり、するのだと思います。

 

 

「法律」というのは、「息をしているだけでは価値を見いだせない、息をしていられないほどの辛いことがあるんだ」と苦しんでいる人の苦痛を、少しでも和らげようとする一つの手段です。

「法律」は、個人の尊厳を無視する人や無視する事情と戦うための一つの手段なのです。

 

 

いくか例をあげてみたいと思います。

たとえば、

①  病気で働くことができず今日の生活にも困っている人には、

人として最低限度の生活を保障してあげなければなりません。

 

 

ここで、再び憲法の話になりますが、

憲法25条1項は、

「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」

とあり、これは「生存権」を保障した規定です。

 

 

病気で働くことができずに生活に困っている人には、この憲法25条で保障されている「生存権」を守ってあげなければならないということになり、それを具体的に実現する法律として「生活保護法」があります。

 

 

生活保護法は、昭和25年に施行されましたが、この法律を行政が実行することで、運用がされています。

また、母子家庭、父子家庭で今日の生活にも困っている人には、

「母子及び寡婦福祉法」という法律があります。

この母子及び寡婦福祉法は、昭和39年に施行されました。

昔は、母子家庭のみを対象にしていたようですが、現在は、父子家庭も対象になっています。

 

 

また、多くの借金があって今日の生活にも困っている人には、

これから生きていくために借金の整理をすることが必要です。

整理の仕方にも色々あります。

借金をすべてチャラにするという「破産」という方法もあれば、

借金をすべてチャラにすることまでには至らなくても月々の支払額を今までの支払額より減らしていく方法もあります。

今住んでいる家が住宅ローンを組んでいて、まだ返済中の場合、

「破産」という方法をとると、住宅ローンも借金と扱われてしまい、住宅もとられてしまうことになります。

それでは住むところがなくなってしまう、アパートを借りるお金もないということになって、生活していけなくなります。

そこで、ローン中の住宅を守りつつ、借金の月々の返済額を減らして、生活の基盤を守るという方法をとることがあります。

それが、「民事再生」と呼ばれる方法です。

「破産」は「破産法」、「民事再生」は「民事再生法」という法律にのっとって裁判所を通じて借金を清算することになります。

 

 

他に、裁判所を通すことなく、消費者金融会社と個人的に示談交渉をして借金の額や返済額を減らすという整理の仕方もあります。

 

 

借金の清算ということに関係しますが、

最近は、テレビのCMや電車のつり革広告などで、弁護士や司法書士が、

「長く借金を返済し続けている人は逆にお金が戻ってくる場合がありますよ。気軽に相談してください。」と言っているのをよく聞かれると思います。

この「戻ってくるお金」とは「過払い金」と言われるものです。

 

 

おおざっぱにいうと、今まで、消費者金融から少々高い利息で借りて返していたものを、民法の一番低い利息で借りて返したと仮定して、計算し直して、払いすぎた分がいくらかを計算します。

その払い過ぎたお金を、消費者金融会社から返してもらおうとするものです。

「民法」や「利息制限法」という法律によって、払い過ぎた分を取り戻すという方法をとるということです。

私たちには、「借りたものは、きちんと返さないといけない」という道徳心あると思いますが、

この、払い過ぎたお金の返還を求める請求は、法律上認めらているわけでして、私たち弁護士の業務の中でも頻繁に登場します。

この払い過ぎたお金を返還してもらい、生活費にして、借金地獄から脱出するという方法もあるんです。

 

 

次に、

②  リストラ解雇をされた人には、

突然、雇い主から、明日から仕事に来なくてよいと言われたとしたら露頭 に迷ってします。

そこで、まず手続き的な面で、労働者を守ることが必要です。

 

 

その際に登場するのが、「労働法」です。

「労働法」という名の法律はありません。

「労働基準法」をはじめとするいくつかの法律、例えば「労働契約法」というものもそうですが、一般的にはそれらをひっくるめて「労働法」と言っています。

「労働基準法」は、賃金や労働条件、解雇する手続きについて規定しています。

例えば、解雇するには原則として30日以内に予告しなければならないとかいったものです。(労働基準法20条)

 

 

また、解雇をする「手続」だけでなく、そもそもの前提として「解雇できるのか」という問題があります。

会社がリストラの一環として従業員を解雇するときに、会社側の好き勝手にできるのかという問題です。

一般には、

1)人員整理をする必要性があるのか

2)解雇を避ける努力を尽くしたか

3)解雇対象者を選ぶ基準に合理性はあるのか

 という制限と

 4)解雇するに際して、説明・協議等をしたか

といった、

①  解雇するにはそれなりの合理的な理由があることと、②それを従業員にきちんと説明することが必要なのです。

これを怠ると「解雇権の濫用」として、解雇は無効となる場合があります。

 

 

このような、「解雇にまつわる手続き的な問題」や「解雇権の濫用の問題」について、労働者は、雇い主側と戦う権利があります。

その戦い方の一つとして、裁判で戦うという方法があります。

「労働審判法」という法律は、労働契約の存否(有る無し)、その他の労働関係に関する事項について、個々の労働者と事業主との間に生じた紛争を解決するために設けられた法律です。

この法律にのっとって、労働者が雇い主側と戦うことになります。

 

 

さらに、

③  職場内でのセクハラ、パワハラに悩んでいる人については、

私自身、これについての解決法は確立していないのですが、

セクハラ、パワハラの張本人に対して、あなたのせいで私は肉体的、精神的苦痛を被ったのだということで、慰謝料請求するという方法があります。

これは、セクハラ、パワハラを民法上の不法行為として、損害賠償請求するというものです。

「民法」という法律が出てきます。

 

 

また、セクハラ、パワハラの張本人だけでなく、雇い主側にも何らかのアクションを起こすことができると思います。

「雇い主側は、セクハラ、パワハラなんてことが横行しない職場環境を作る義務があるのだ」、「労働者と雇い主側との雇用関係上の義務を果たしていないのだ」、と考えて、民法上の契約義務の不履行(履行しない)として、損害賠償請求するということも可能です。

ここでも「民法」という法律が出てきます。

 

 

④    配偶者からの暴力で苦しんでいる人(ドメスティックバイオレンス(DV))については、

まずは、安全な形で夫から妻と子供を引き離すことが必要です。

 

 

それには、警察や女性相談所などの力によって、一時的に夫から妻と子供を引き離し、保護施設に隔離するという手段があります。

その後、裁判所を通じて、夫が妻に近づいてはいけない、近づけば刑罰を科せられるとする命令、いわゆる保護命令を出してもらうという手続きをとります。

もっとも、この保護命令が出ても、実際には警察などの協力によって、定期的に身の安全は確保してもらう必要があります。

この保護命令は、「DV法」といわれていますが、「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」という少々長い法律があります。

 

 

以上のように、「法律」というのは、「オギャーと生まれてきただけで人として最高の価値があるのに、その価値を見いだせない状況に追い込まれて苦しんでいる人」の苦痛を少しでも和らげようとする一つの手段です。

法律は、「個人の尊厳」を守るため、相手方と戦うための一つの手段だと思います。

しかし、

悲しいかな、法律は、ある意味、事後的な手段でもあります。

 

 

たとえば、「損害賠償請求」というのは、①財産的侵害を実際に受けたから、②肉体的苦痛や精神的苦痛を実際に受けたから、③実際に損害が発生したから、といって、

その侵害や苦痛をお金に換算して、相手方に金銭的な賠償を求めるというものです。

 

 

昨今、特に問題になっている「学校におけるいじめ」についても、

悲しいことに、いじめにあっていたとされる少年が自ら命を絶って、実際に「死」という事実が発生した後に、少年の遺族が市や加害者・加害者の両親に対して、失われた命の重さや遺族の精神的苦痛をお金に換算して、金銭的な賠償を求めるという法的手段が用いられています。

大津の少年の遺族も、現在、市や加害者とされる少年・その少年の両親らを相手に損害賠償請求事件を起こし、裁判所で戦っている最中です。

 

 

私は、思うのですが、やはり、「法律」は、何かが起こる前に事前に人の尊厳を守るというのには不完全で、どうしても事後的な対応の手段として用いられる方が多いような気がします。

 

 

とはいえ、すべての「法律」がそういうわけではありません。

一つの損害から派生する更なる損害を食い止めるために規制をし、二次的な損害を出さないようにするという効果もあるからです。

 

 

このように、「法律」というのは無力な部分もあるのですが、

私は、「人が自ら命を絶つという「自殺」を少しでも食い止める手段として「法律」というものがあるよ、」「「法律」が自殺の原因・理由を少しでも解消するんだよ」、「だから身近な人に相談してほしい」ということを伝えたいと思っています。

そして、「法律」の無力な部分というのは、「命ある、心の通った人間」が柔軟に接して、自らの命を絶とうとする人の心のケアをすることで、カバーしていくのだと思います。

どちらかといえば、「法律」よりも「命ある、心の通った人間」による柔軟な対応がまず先で、法律がそれをカバーするのだと思います。

そうやって、何とか自殺を食い止めることができるのだと思います。

 

そして、「命ある、心の通った」対応を、ここにおられる相談員の方々がその最前線でなされるということだと思います。

その最前線で対応される相談員の方々の力をお借りして、私たち弁護士は、心の通った法的サービスを提供するという任務を担い、自殺を食い止める原因を解消できるよう努力していこうと思っております。

 

自殺を考える人の大半が、「人に相談することが 恥ずかしい」「人に対して助けてということが言えない」と思っているそうです。

先日、名古屋の裁判所で、23歳の息子が47歳の母親の首を絞めて殺したという事件の裁判がありました。

母親を殺してしまった23歳の息子は、母親がうつ気味で仕事ができず、母親の代わりに弟の面倒をきていたようです。しかし、生活費の工面が思うようにいかず、水道も止められる状態になっていたそうです。

母親が「これでは暮らしていけない。一家心中しかない。死にたい。」と言うようになり、ついに、息子が母親の首をタオルで絞めるということになってしまいました。

この息子は自分も死のうとしました。しかし、弟に説得されて自首したそうです。

 

この23歳の息子の弟は、裁判で、「まわりに相談すればよかった。でも当時は何も考えられなかった。」と発言したそうです。

 

「相談できない、ただただ、今の苦痛から逃げ出したい」という気持ちが、①大好きな母親の命を自分の手で殺す、そして、②自分も自殺する、という私たちの想像を絶する決断をさせてしまうのだということを改めて感じさせる事件でした。

 

自殺に限らず、何か悩みを抱えている人で弁護士に相談するのがよいのかと迷っている人の大半が、「弁護士は敷居が高くて相談するのが恥ずかしい」「破産なんてはずかしくてできない」などと思っているそうです。

しかし、相談することは決して恥ずかしいことではないんですよね。みんな大なり小なり相談し合って、助け合って生きているわけですから。

 

ここにおられる相談員の方々と私たち弁護士は、①人はオギャーと生まれた時から最高の価値がある存在なのだということを理解し、②その価値を自ら絶ってしまおうと追い込まれている原因を少しでも取り除いていきたいということで、

目指すところは同じだと思います。

 

  ですので、私は、これからも、弁護士ができることであれば惜しむことなくご協力させていただいて、

自殺という問題にかかわっていきたいと思っております。

 

これで本日の私の話は終わらさせていただきます。つたない話でございましたが、どうもご清聴ありがとうございました。

 

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弁護士古市佳代(三重弁護士会)

 

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ごあいさつ

すずか市民綜合法律事務所

代表弁護士
古市太一
(三重弁護士会所属・鈴鹿市出身)

弁護士
古市佳代
(三重弁護士会所属・津市出身)
【代表弁護士ご挨拶】

 ホームページを訪れてくださった皆様、はじめまして。

 すずか市民綜合法律事務所の代表を務めております弁護士古市太一と申します。

 当事務所は、私と、妻である弁護士古市佳代の二人が、「地元三重の市民の皆様に、ベストな法律サービスを、適切な経済的負担で提供する」という理念の下、私の出身地である、鈴鹿市に創立されました。

 いまだ弁護士というと、敷居が高いイメージがあり、「弁護士を頼むと大事になる」というイメージもあると思います。

 しかし、世の中には、簡単な法律を知らなかったがために、まったく理不尽な結果を押し付けられたり、右往左往する方々が多々存在します。

 当事務所では、できるだけ、従来の敷居が高いイメージをなくし、市民・企業の皆様に、適切な「法律サービス」を提供していくことができるよう、全力で活動をしていく所存です。